新聞のある暮らしの費用対効果

我が家はここ10年以上、紙媒体の新聞を止めていました。

それ以前は、当時の多くのご家庭と同様にきちんと講読していました。

特に、私は父親が新聞記者でしたから、小学生の頃から新聞の愛読者だったのです。

どうして止めてしまったのかという理由は、次のようなものです。

ちょっと心配事が続いて神経が尖っていた時に、新聞を読むのが辛くなってしまったからです。

第一面や第三面に取り上げられるような事件や事故を見て「我が家にもこんな災厄が襲い掛かるのではないだろうか」と戦慄しました。

また、経済面を見て「この不況の中で家計を切り盛りしていけるのか」とプレッシャーに感じたのです。

さらに、家庭面の「難病と闘う人」「育児の最新情報」などを見て自分と家族を心配してしまった、といった具合です。

私に特殊な出来事なのかと思っていたのですが、私の知人に、やはり出産後にナーバスになっていた時期に、似たような理由で新聞が読めなくなったという人がいました。

まあ「社会を憂える」メディアですから、読んでいて面白可笑しいものではないのは仕方ありません。

そのうちネットニュースが充実し、もう紙媒体の新聞を読まなくてもいいかな、と思い始めていました。

ところが、この4月の新年度から、子供がそろそろ「新聞を読んで見聞を広めた方がよいのでは」という年頃になりました。

という訳で、大手新聞社の1週間の試読を申し込んでみたのです。

今日でその中日、3日目にあたります。

久々に紙媒体の新聞に目を通す生活になった感想は、「知らないことがいっぱい書いてあるなあ」というものです。

別に私が知識不足や情報弱者ということはない(はず)です。

むしろ、人様から「物知り」とお褒め頂くことの方が多いのです。

私は、時間があればネットで延々とウィキペディアなどのリンクを辿って、雑学を増やすのが楽しみなタイプなのです。

しかしながら、今思うに、それは「自分の知りたいことについて」に限られていたようです。

新聞には「私の興味のないこと」「それゆえ知らないこと」がたくさん書かれています。

例えば、「今日という日付が旧暦の何かにあたる」とか「遠い異国の経済の変化が文化を変えようとしている」とかです。

また、自分の日常に関係のないことについては、関心を向ける機会がかなり少なくなっていることに気づきました。

自分の子どもが受験する学校の入試情報については、真偽定かでない情報(某巨大掲示板の噂レベルまで)を山ほど頭に入れていました。

しかし、「年代としても地方としても関係のない小学校の用地問題」については、「何だか問題になっているらしい」程度の薄い認識しかなかったのです。

紙媒体の新聞の見出しの大きさで、「ああ、メディアが大きく報道したいんだな」ということが分かりました。

あと、広告の多彩さも新鮮でした。

新しい概念である「発達障害」を「治す」という「胡散臭そうな本」の広告を見ると、「なんだ、発達障害って良くも悪くも既に一般的に認識されているじゃん」と意外な気がします。

知られていないことが前提の啓発活動を目にすることが多かったので、「なんだか斜め上に理解されているようだ」という印象です。

「知られていない」のではなく「妙な方向に流行している」ことについて啓発した方がよさそうですね。

あと、シニア向けの雑誌の広告が目につきます。

「紙媒体の新聞はもうシニア世代しか読まないんだろうか」という物哀しい感想、お年を召すと関節痛が気になるのか。

今からめなりサプリでも飲んでおこうかな、という将来に備える感想、さまざまな思いが交錯します。

これもまた不思議な体験です。

ネットで既に興味があるものについて調べていると、その情報を知った時の感想もまた「想定の範囲内」におさまるものです。

新聞では、紙面をめくるたびに、予想しない内容に予想しない感想を持つということになります。

面白いような、疲れるような不思議な時間です。

悪く言えば「別に知りたくもないこと」に、時間と費用を割かれるというデメリットでもあるのですけれどもね。

我が家については、子供が必要としており、費用も夫が負担します。

せっかくなので、私も頭が固くならないように積極的に読むように心がけたいところです。

ただ、一般論としては、仕事で忙しい大人が、ゆっくりじっくり読むのかどうか微妙なところではないでしょうか。

実は、私も3日目にして夕刊は読まずに「積読」状態です。

自分の知らない世界を知るためには、「無駄」や「余裕」がとても大切だと分かっていますが・・・

ネットがなく、誰もが新聞を講読することが当たり前の時代には、それを自然に実践に移せました。

けれども、今はネットで自分の知りたい情報を、瞬時に多量に簡単に手に入ることが当然です。

こんな日常に「無駄」や「余裕」って、相当意識しないと入り込む隙間がない気がします。

この新年度は、子供だけでなく、私自身にとっても「新聞を読んで見聞を広める姿勢」をいつまで保ち続けることができるのかが課題となりそうです。